私には発達障害と学習障害を持つ母がいます。
そんな母をサポートするために探した仲間は、母のためだけでなく、自分をも救ってくれる存在であるかもしれません。
時にそういった同じ志を持つ仲間というのは、身近なところよりもSNSで見つかることもあるようです。
発達障害をもつ母との暮らし
母は、想像していなかったことが起こるとパニックになります。
他にも、一桁の足し算や引き算すらできなかったり、皿洗いや掃除などの家事がどれも中途半端だったり、発達障害によるさまざまな部分で周りからは煙たがられ、蔑まれていました。
それでも私は進んで母のサポートをしていました。
障害を持っていても幸せになる権利や普通に暮らす権利はあるし、努力を続けていればいつかは状況は良くなると考えていたからです。
とはいえ、いくら親子といえど、こういったサポートには大変なことが多いのも事実です。
普通の家庭では起こらないようなトラブルがよく起きるうえ、そんなトラブルを何度も繰り返すということも少なくありません。
私がそんな状況を乗り切り、現実を受け容れることができたのはSNSを通じて出会った仲間たちのおかげでした。
SNSは生活インフラ
私のような人間にとって、SNSはもはや生活インフラと呼べるほど利点の大きなものです。
まず、SNSはいわゆる社会的マイノリティにとって、手軽に仲間を探し、人間関係を維持するためのほぼ唯一の手段です。
また、ネット上だけの付き合いという距離感は重い問題を開示しやすくし、またその距離感によって客観視がしやすいため、解決に向けて励まし合うのにとても適したものです。
実際に会って話すのとは違い、相手の感情やストレスに過度に巻き込まれずに済むのも良い点ですね。
同じ夢を持つひとりの人との出会い
SNSで知り合ったK氏(仮名)との出会いも、私にとってとても大きいものでした。
K氏も発達障害を持つ兄を抱えていましたが、その兄のサポートだけでなく、発達障害を持つ人が社会でより受け容れられるようにするための様々な活動をしていました。
そんな忙しい中でも哲学や心理学などの本を1日に1冊は読破する熱心な勉強家でもあったのです。
「幸福や理想は具体的な計画を立てるまでは存在しないに等しい」
「自己啓発書やSNSで氾濫する幸せは幸福ではなく、幸福とはあるがままの現実をそのままに受け容れ、自ら善いと思うことを為すことだ」
などといったK氏の言葉は、今も私の支えとなっています。
一方、いくら勉強しても、現実では理不尽なことはいくらでも起こるわけで、そんな時に私はK氏に対して「心ないことをする人が多い場所では、僕たちの活動はより大きな意味を持つ」などと励ますことができました。
世の中とは不思議なもので、励まされるより励ます方が、もしかしたら心への影響は大きいのかもしれません。
こういった努力によって社会的に少しだけ受け容れられ、理解された人たちは、ドタバタしつつも自分の好きなことや得意なことを見つけ、趣味や就労など前向きな現実へと進んでいます。
しかし同志たちと同じ夢を追うという道を得た私自身も、もしかしたらこういった出会いや活動によって母以上に大きく救われているのかもしれません。
もし、身近な人には言いにくいような悩みや夢がある人は、私のようにSNSで相談しあえる相手を探してみても良いかもしれません。