どんな業界でもあることかとは思うのですが、コミュニティが閉鎖的になると新規の参入者が入りづらくなります。
とある生まれ立ての業界に深くかかわるようになったときに、とても気になることがありました。
すでに業界に入った人間が所属するコミュニティはあっても、業界に入りたい人、準備を進めている人、すでに業界で活動している人が自由に所属できるコミュニティがなかったことです。
もちろん、閉鎖的な環境だからこそ生まれる連帯感や、同じ業界にいるからこそできる話題もあります。
表には出しにくい情報を話せるなど、メリットもあるからです。
ただ、それでは自由な情報交換や交流が阻害されるというデメリットもあります。
こういった状況を何とか打破できないかと考え、自らオープンなコミュニティを作り上げた私たちのエピソードをご紹介します。
出来る場所がないのなら自分たちで作る!
最初は個人的に思うことなどをSNSやブログなどで発信をしていたのですが、やはり一人では限界がありました。
そんな中、私の持っている危機感に共感してくれる人が現れました。
昔からの知人で、一緒に仕事をしたこともある一人の男性でした。
お互いクリエイターを目指していたことがあり、その関連でその人とは、サイト作りや、様々なノウハウブログを立ち上げて運営するなど、協力関係にあったこともあります。
その知人から言われたのが「いっそ僕たちでコミュニティを立ち上げないか?」という話でした。
私も知人も、業界の実務経験がない者同士で、コミュニティ立ち上げも未知の領域です。
ただ、そういって誰も事例を作らなければ、成功も失敗もなく、失敗から学ぶこともできません。
同じ目標を持つもの同士、協力してゼロからコミュニティを作ることにしました。
目指すコミュニティの形
作りたかったのは、誰でも自由に参加し、自由に抜けることもできるコミュニティです。
まず、最初に行なったのがコミュニティのサイト作りです。
コミュニティを作っても、誰にも認識されなければ人が集まるわけがありません。
そのため、すでに業界で成功している人達にインタビューを行い、記事作成の許可を得るなど業界情報の発信を始めることにしました。
同時に行ったのが、これから業界に入りたい人向けの情報集めです。
どんなルートで業界に入ればいいか、今どんな技術が生まれているか、参入にかかる費用や良く使われる手法はなにかなど、情報を記事にまとめていったのです。
ある程度記事数がそろった時点で、プレオープン状態でコミュニティサイトの運用が始まりました。
知名度だけが一人歩き
フタを開けてみると、想定以上に反響が大きく、名前があっという間に広まりました。
業界人だけのコミュニティはあっても、業界人ではない人間が、業界について紹介しつつ、だれでも参加できるコミュニティサイトが立ち上げられる初めての事例だったからです。
一方で、順風満帆にスタートを切れたわけではなく、問題もありました。
名前が売れる一方で、立ち上がったばかりのコミュティサイトだったため一向に参加者が増えませんでした。
信用を得るまでに時間がかかることは当然でした。
そこで、コミュニティサイト立ち上げの理念や、目指す将来像などを文章にまとめていき、誤解を招きそうな部分は常に見直すなど参加者にとって安心できるような工夫をしました。
それでも参加者はなかなか増えませんでしたが、すぐに結果は出ないのは当たり前です。
信用を得られるまでは地道に活動するしかないと、記事数を増やし、少しでも業界に入りたい人の役に立つ情報の発信を続けました。
発想の転換が成功のカギに!
転機になったのは、Discordというツールの存在です。
ゲームで遊ぶ際に、通話やテキストを打ち込んでコミュニケーションをとるためのツールとして使われていましたが、コミュニティを作るためのツールとしても使われていました。
実際に私と協力していた男性も連絡ツールとして使っていました。
所属できるコミュニティがない、悩みはあるけど同じ悩みを共有できる人がいないという状況を見ていたため、「だったらサイトからの情報発信だけではなくDiscordもオープンにして、だれでも参加できるようにしよう」と、方向転換を行ったのです。
結果として、この方向転換が成功のカギになりました。
招待コードさえ経由すればだれでも参加できるという、参加資格がない業界初のDiscordコミュニティです。
結果として、業界関係者だけでなく、業界を志望する人、一般の人、企業関係者やライターなど様々な人が集まる巨大なコミュニティができあがりました。
参加人数は400人を超え、生まれて数年の業界の中で、コミュニティの規模としては最大クラスまで成長したのです。
最もうれしかったのは、私たちのコミュニティサイトに刺激され、「参加資格なしで業界関係者が集まるコミュニティ」が増えたことです。
閉鎖的なコミュニティに風穴をあけるきっかけになれたのは今でも良い経験になったと思います。
最初こそ自分たちが感じた問題点を解決するための目標でしたが、こうして多くの方の問題をも解決できるような仕組み作りが出来たことは、自分の誇りになりました。
諸事情でそのコミュニティは今存在しない状態になっていますが、仲間と作ったという事実や、そこで集まった人たちとの交流は今も続いています。