誰かに感謝を伝えたい、なりたい自分に近づきたい、夢は十人十色でそれぞれです。
今回は「遠くに暮らす父に会いに行く」という夢をご紹介します。
1,000km以上離れた場所に住む父子。
シングルファーザーとしてどんな時も弱音を吐かず、いつも自分を応援してくれた父に伝えたい想いとは…?
父子家庭のわが家。父の背中を見て育った
物心つく年齢の頃から、私は父と2人暮らしでした。今も母の顔は知りません。
私が子どものころ、父は当然の様に朝ごはんを作り、私を保育園に連れて行き、仕事をし、終わるとすぐに迎えに来て、帰宅後は夜ご飯を作ってくれました。
仕事が多いときには、一度私を迎えに来てから私を連れて会社に戻り仕事をしていました。
こうした日々が当時の私にとっては普通の生活でした。
小学校にあがっても、朝ごはんを作り、私を起こし、私より早く仕事に行き、帰れば夜ご飯を作り一緒に食べていました。
父がこの生活で私に苦労を見せたことはありません。
ただこのころから私が他の家庭と自分の家の違いに気づき始めました。
しかし、他の家庭がうらやましいと思ったことは一度もありません。
母親が欲しいと思ったことはあっても、父に対して恨みのような感情を抱いたことは一度もありませんでした。
父の後ろ姿が私にそう思わせてくれたのでしょう。
夢を見守り続けてくれた父
私は幼いころから野球をやっていて、高校進学の際には県外への進学を決めました。
15歳、中学卒業と同時に私は家を出ました。
父は私が決めた県外への進学を心から応援してくれていました。
そのおかげで、私は何も心配することなく、夢を心に、家をでることができました。
しかし実際にはずっと1人で私を育ててくれた父が寂しくなかったわけではないだろうと、今はそう思います。
また、寂しさ以上に、県外で寮生活を始める私のことを心配していただろうと思います。
そんな寂しさや心配をおしても「お前がやりたいことはやれ」と全力で夢を後押ししれくれたからこそ、私は人生の挑戦ができました。
初めての寮生活では洗濯一つにしてもこんなにやることがたくさんあるのか?と衝撃を受けました。
父が当然のようにしてくれたことがとんでもなく手間だったことに改めて気づきました。
いつも応援してくれた父に恩返しをしたい
大学も県外を選び、就職も実家から離れた場所を選んだ私は今、実家から1,000km以上離れた土地で暮らしています。
15歳で実家を出て10年が経ちましたが、学生のころ怪我をして大変だったときも、免許取り立てで事故を起こしてしまったときも、結婚したいと言ったときも、いつも私の一番の味方で理解者だったのは父でした。
住む場所は離れていても、私はいつも父に甘えてきたのだと感じています。
この10年で父も歳を重ね、父に老いを感じることもあります。
しかし、自分は父に何か返せたのか?と考えても、まだ何もできていない自分がいます。
経済的にもまだまだ厳しいため、高価なものは買ってあげたくてもできず…。
だから私はせめて、面と向かって感謝を伝えたいと思っています。
1,000km以上離れた父に会いに行くことが、今出来る最大の親孝行だと思います。
そして、私が十分稼げるようになるまで長生きしてもらい、少しでも裕福な老後を作ってあげることが私の夢です。
「父に会って感謝を伝える」という夢
今回ご紹介した方は、幼いころから必死に自分を育ててくれたお父さんに、顔を見て感謝を伝えたい、という夢を持っていました。
「ありがとう」を直接伝える、これは簡単なようでいて実はむずかしいことなのかもしれません。
お父さんに会って「ありがとう」、伝えられると良いですね。応援しています!
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