
ここでは寄付について、皆さんの経験を伺ってご紹介しています。
本日ご紹介するのは、震災の際に寄付をされた方のエピソード。
おそらく同じように震災の時に寄付をされた、という方も多いのではないでしょうか。
それでも感じ方は人それぞれ。
共感出来る方もいれば、そういう見方もできるのか、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
同じような経験がある方は、是非ご自身の経験と照らし合わせながらご覧ください。
はじめての寄付
私がまだ小学高学年の頃、英語を教えてくれていた家庭教師の先生が、日本にいる「難民」といわれている人たちを助けるボランティア活動に参加をしていました。
先生は家庭教師の授業の中で、彼らが日本に来る前どんな生活をしていて、なぜ日本に来たのか、日本でどのように生きているのかを教えてくれました。
私はその当時、難民の意味もよく理解しておらず、日本から離れた遠い国で起きていることなど自分には関係のない話だと思っていましたが、私と同じ年頃の子供が勉強する道具もなくて困っていると聞いて、2、3回しか使わなかった色鉛筆セットや新品の鉛筆、ノートなどを先生を通じてプレゼントすることにしました。
すると先生はとても喜んでくれました。
そしてその結果、子供たちがとても喜び、役に立った、と教えてくれました。
私は自分がしたことで喜んでくれる人がいることを知り、うれしかったことを今でも覚えています。
しかしやはり私の中では、自分にはあまり関係のない話であり、私が少しのお金を寄付したところでなにも変わらないのでは、と言う考えでいました。
東日本大震災
大人になり上京した時、東日本大震災が起こりました。
私がいた東京でも激しく揺れ、電車が止まるなど、自分自身も多大な影響を感じました。
同じ日本で起きている大きな災害を目の当たりにして、それまで自分には関係のないものと思っていた「困っている人」とは、遠い別世界の話ではないのだと気づいたのです。
私はあるNPO団体が行っていた復興のための募金活動に寄付をしました。
当時働いていた時のお給料の3分の1ほどの値段で、復興活動のために必要な額からすると本当に微々たるものですが、何もせずにはいられませんでした。
このような経験から、世の中のさまざまな問題は、決して他人事ではないと感じることができ、自分でも少しは社会の役に立てることが出来るのでは、と考えるようになりました。
それ以来、レジ横の募金箱に小銭を入れるときは、何の目的であろうと、この時の経験を思い浮かべながら入れるようにしています。
問題を他人事と感じないために。
他人事ではなく、自分事として捉えること
いかがでしたでしょうか。
世の中のさまざまな問題は、実際に自分の身近で起こって、自分の肌で体感しないとなかなか自分事のように思えませんが、
一度でもこうして体感できると、自分のこととして捉えることの大切さ、ありがたさが身に染みるものかと思います。
そういった経験がある方は、是非その時の気持ちを忘れずにいたいものですね。