
寄付、したことありますか?
したことがある方は、どんな寄付をしましたか?
自分が寄付を検討するとき、他の人がどんな寄付をどのくらいしているのか、少し気になりますよね。
ここでは、皆さんの寄付経験を伺い、ご紹介しています。
今回ご紹介するのは、胸につかえていた子どもの頃の後悔を、寄付で解消できた方のエピソードです。
子どもの頃の後悔
親が災害や病気で亡くなった子供のために、その心のケアや金銭的なサポートを行っているあしなが育英会という団体があります。
私がこの団体を知ったきっかけは、「あしながおじさん」という小説です。
この小説は、実際のところそれほど清く正しい聖者の話という訳ではないのですが、なかなか面白い物語です。
私はお話の主人公のジュディが好きで、心の傷を持ちながらも明るく活発な彼女に憧れていました。
中学生の時、私にはジュディのような友達がいました。
その友人は、人見知りで自分の殻にこもりがちな私を、グイグイと外に引っ張ってくれる存在でした。
家も近く、成績も同じくらいだったので、なんとなく高校生になっても一緒に遊べるような気がしていました。
でもそうはなりませんでした。
友人のお父さんがなくなったからです。
友人はその日から学校を休みがちになり、私の方も受験が始まって自分の勉強に精一杯になり、やがて電話で話すこともなくなっていきました。
気が付いた時には卒業式で、友人は進学せずに隣の県の工場への就職を決めていました。
その後は疎遠になり、ずっと会えていません。
後悔をバネに
あの時の私に何ができたのか、今でも考えることがあります。
子供の頃のことですから実際は何もできなかったのでしょうが、当時の私には友人に言わなければならないことがあり、それをしなかったからこそ友人との仲はそこで途切れてしまったのでしょう。
あしなが育英会の存在を知り、寄付を決めた時には、そんな友人への懺悔のような気持ちがありました。
いま寄付をした所で、友人のために何かをしたことにはならないのだけど、それでもあの時の友人に似た状況にある子供達に何かしたいと感じて、思い付きのままに行動しました。
最初はただの自己満足じゃないかという気持ちもありましたが、何度か寄付をしてみて、これはこれでよいのだと思えるようになってきました。
エゴからの行動であったとしても、その先で少しでも子供の希望を繋ぐことができているのだと、機関紙が教えてくれます。
私は寄付をしたことで、過去の自分にようやく正面から向かい合うことができたような気がします。
思い出すことを避けていた記憶を、少しずつ懐かしむことができるようになりました。
届けたかった言葉は言えないまま、聞きたかった言葉をかけてもらえることもありませんが、次に進むためのきっかけにはなりました。
支援のつながり
いかがでしたか?
子どもの頃、声をかけられなかった後悔から、大人になった今、似た境遇の子どもたちに手を差し伸べられたというエピソード。
安易に「よかった」とはいえなくても、こうして次の世代、次の世代への支援がつながっていくのかもしれませんね。