目標への軌道修正!大丈夫、きっとうまくいく!}

目標への軌道修正!大丈夫、きっとうまくいく!

2022.09.15 プレビューアイコン97

私には、人生のなかで唯一誇れるものが1つあります。


それは高校での3年間です。


私は高校3年間、「野球留学」で地元を離れ強豪校野球部に入学し、甲子園を目指し野球に打ち込みました。


そこで私は、自分の人生の財産になる経験をしました。


ここに私の3年間を記すことで、これから夢や目標を叶えようという方の手助けになれば幸いです。


俺は井の中の蛙だった


私は小学生から野球を始め、中学生の時は学校の部活ではなく、地元のクラブチームで野球をしていました。


チーム内では1年生の時からレギュラーとして試合に出場し、3年生では県の選抜チームに選ばれたり、全国大会でベスト8まで進んだりと、県内の強豪校から声が掛かるくらいの成績を残していました。


しかし私は、スカウトして頂いた県内の高校を断り、県外の甲子園常連校に一般入試で入学しました。


「レギュラーになり甲子園に出る」、「自分ができない訳がない」と気合十分で入学したのはいいものの、入ってすぐに天狗気味だった私の鼻はへし折られました。


それは初めて経験する挫折でした。


全国から優秀な選手が集まるその学校は、体格もパワーも技術も、私とは比べ物にならないものでした。


先輩はもちろんのこと、同級生の中でも遥かに劣っていました。「井の中の蛙」とはまさに私のことでした。



選手からマネージャーへ


2年生の春、私の野球人生が大きく変わります。


監督室に呼ばれ、言われたその一言は、「マネージャーにならないか?」でした。


選手としての道を諦め、選手たちのサポートに徹してほしいということです。


怪我をしたから選手を諦めマネージャーに転向するという話はよく聞きます。


しかし私は、怪我もしていない元気な状態でマネージャーへの転向を勧められたのでした。


正直どれだけ努力してもレギュラーになれないということは自分が1番よく分かっていました。


周りとの明らかな実力差。


私がマネージャーになると決断するのに時間はかかりませんでした。


選手として名前を残せないなら選手を支えるマネージャーとして名前を残そう、せっかくここに来たのだから選手じゃなくてもマネージャーとして甲子園に行こう。


私はこうして夢のために大きな軌道修正をしました。


そこからは選手たちを必死にサポートしました。


練習の手伝いや、相手チームの分析。チームが勝つためにできることは何でもしました。


選手から言ってもらえる「ありがとう!」が私の原動力になりました。


そして、高校最後の夏、私たちの高校は見事甲子園出場を果たしました。


そうして私の甲子園に行くという夢が叶ったのです。



自分の決断に感謝


あの時マネージャーになるという決断をしたからこそ、甲子園に行くという夢が叶ったと私は思っています。


小学生の頃から選手として続けてきた野球を諦めるというのは、とても辛く、大きな決断ではありましたが、自分のその決断に悔いはありません。


これから夢に向かっていく人の健闘を祈っています。

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