
方向転換というと、まったく異なる方向へと向かうような気がしてしまいますが、実はそれこそが夢への近道だったりするのだなぁと思うことがあります。
そしてその遠回りした経験は、たとえ夢に辿りつけなかったとしても、気づかないうちに自分のプラスになっているものなのだと思います。
私がそう思うに至った、自身の体験談をお話ししたいと思います。
先生になりたかった
自分は先生という職業についてみたいと思っていました。
その一方で、自分には人の上に立って教えることができるほどの知識や得意学科などない、と自信が持てず、やる前から諦めそうにもなりました。
まずは小さなことから始めてみようと、日常の中で人が知らない「ちょっとしたこと」を教えてあげるということから始めてみました。これならいつでもできます。
環境が変われば、当たり前は当たり前じゃない!
そしてあるとき、日本語や日本文化という、日本人なら誰でも持っている知識が外国人にとっては武器になることを知りました。
ただ、それを仕事にするには、一般的には、大学院で卒業資格を得たり、試験に合格して日本語教員免許を取得しなくてはならないという道のりがあります。
しかし私は、そういった道のりを歩む前に、まずは実践とばかりに、アルバイトという形で1人の外国人に日本語を教えることにしました。
曲がりなりにも大学で教えている先生たちと自分は同じようなことができているのだ、という満足感が得られました。
型通りの道から方向転換をして、フットワークを軽くしてみたからこそ得られた満足感だったのではないかと思っています。
自分の存在が貴重とされるエリアへ
それから日本人がほとんどいない国々に目を向けるようになりました。
そういった場所では日本人だというだけで特別な存在になります。
やがて日本文化を発信してくれる自分に対して報酬を払いたいという人が現れました。
そこはアフリカ大陸の未知の場所でした。アフリカ大陸という地は、自尊心の低かった自分に、実は自分は貴重で特別な存在であると思わせてくれるような自信をくれました。
現地の人々は、日本人というだけの自分にとても注目してくれました。
そして学校からも招待を受け、日本文化を教えるようになりました。
日本について教えるために、あえて日本との接点が薄い場所へ行くというアイデアが功を奏し、夢は現実となりました。
夢を叶えられればもちろんそれが一番ですが、たとえ叶わなくても、夢を追う過程で知り得た知識や経験は、独特でユニークなものとなり、その後の人生の糧になります。
それは「夢が破れた」とは言わず、優しさ、謙虚さ、賢さを持った人々の「夢の方向転換」といえるのではないでしょうか。