現時点での自分の力では「とても無理」と思える夢は諦めるしかないのでしょうか?
私はそう思いません。なぜなら、私自身が大学受験のときに「無謀」と言われる立ち位置から目標をクリアできた経験を持っているからです。
ただ、この目標達成は、自分の努力はもちろんありましたが、周囲の協力や応援があったからこそ叶えられたものでした。
今回は「無謀」「無理」と言われた大学受験を突破した私の体験談をお話します。
大学進学者がまれな場所にいた自分
高校生の時に私が通っていた学校は、大学進学者が多い学校ではありませんでした。
正直にいえばそこから大学へと進学する人間はまれという環境でした。
具体的なレベルをお話すると、今でいうMARCHレベルの大学の合格者はまず出ることはなく、日東駒専へも学年で1、2人いれば十分という環境でした。
そんな環境の中で、私が進学を希望していた目標の大学はまさに「MARCH」の中の一校でした。
私の挑戦はほとんどの人から「無謀だ」と言われるものでした。
しかし少数ではあっても私のチャレンジを応援してくれる人もいました。
こうした応援者がいてくれたから、私は諦めずこの夢を持ち続けられ、受験勉強を進めることができました。
ただ当然ですが、周囲から応援をしてもらえたくらいで合格できるほどMARCHは甘くありませんでした。
私は模試の成績で最後までC判定止まりでした。
自分自身の努力は惜しみなく
模試の判定はあまりうれしい結果が出ませんでしたが、それでも過去問集や参考書を頼りにかなりの勉強を重ねました。
私は塾に通っていなかったので、自分なりに作戦を立てて勉強を勧めました。
全ての試験範囲といえるものを網羅することは不可能だと分かった時点で、捨てる部分は捨てることにして、得意な部分を延ばすといった勉強法を選びました。
このような方法は賭けになるので、予備校に通っていた場合にはとても推奨されない方法だったと今は思います。
しかし、私にはこの方法が合っていて、自分の勉強ペースが守れたこと、こうした勉強の仕方を理解してくれた周囲の環境があって、目標へ向けてコツコツと勉強を続けることができたのだと思います。
こうして勉強を進めていた結果、高校3年の年末の時点では結構な手ごたえを感じていました。
周囲の応援が夢への後押しになった
冒頭でも触れていますが、私が通っていた高校は大学への進学者がほとんどいない学校でしたが、学校側に自分が本気でMARCHを目指していると伝えると、日曜日にも教室を自習用に開放してくれました。
自宅で勉強していると、どうしてもいろいろな誘惑もあるため、学校の教室を利用できたのはうれしい限りでした。
また家でも受験に集中できるようにと、受験勉強の期間中には家事などの余計なことは一切頼まれることがありませんでした。
両親のこういった見守るような応援が力になったのも、受験にチャレンジする私には大きな力になったと思っています。
いざ試験に挑戦!
自力で、しかも自分に合った勉強法で突き進んでいた私ですが、いざ試験当日になってみると、自分が信じてやってきた方法が生きるような出題が多く心の中でガッツポーズが出たのを克明に覚えています。
結果として一般合格はできませんでしたが、合格発表から10日ほど後に補欠合格の知らせがありました。自分としてはこれでも大勝利だったと思っています。
どんな無謀なチャレンジでも周りからの応援が力になり、その大切さがよく分かっただけでも人生において大きな収穫でした。
「夢」が当初に描いた通りではなくても…
私が目標にしていた大学ですが、実は諸事情によって結局その大学に進学はしませんでした。
しかし、やりきった感ととても充実していた受験勉強期間だったことは今でも忘れていません。
当初に描いた夢と、実際の現実は異なったかもしれませんが、受験に挑戦したことで得た応援が力になるという経験は、それから後の人生でも常に意識するようになりました。
その一つが「何かの物事を始める際にはまず応援してくれる人が居るかどうか」を気にするようになったということです。
もちろん応援さえあれば何でもできるという訳ではないですが、挑戦にとって「応援は大切である」と意識できた人生においてとても大きな出来事でした。