「大きな夢」は力になると同時に、同じ温度で夢に向かわなければ「溝」になる場合もあります。
しかし「大きな夢」に向かう人と同じ空間にいると、こちらまで「夢の熱」を上げられることも。
今回は私が小学生のころ、合唱コンクールで「金賞をとる」という夢に向かったときのお話をします。
「金賞」を目指す日々が夢になるとは。合唱を始めたきっかけ
私は小学生の時、合唱部にいました。入部したのは、小学四年生のときです。
誘われたことがきっかけで入部しました。
歌うことは別に好きでもなかったので、入部した理由はいまだによく分かりません。
しかし、今となってはいい思い出です。
当時の合唱部の現状は?
当時、私の学校には合唱コンクール強豪校で指導していた先生が転任してきました(しかもその先生は私の担任になりました)。
私が合唱部に入ったころ、部の目標は、県大会で金賞をとることでした。
ちなみに私が入部する前は、賞をとるのは夢でしかないという状況だったそうです。
しかし元強豪校の先生が担当になったということで、「入賞までいけるのでは」という雰囲気が先輩たちの間に流れ始めました。
この雰囲気には入部したての私も気がついたくらいです。
練習は、入部を後悔するくらいきついものでした。
そんなに練習してどうするの?と、母にも驚かれました。
夏休みなんて、合唱しかしていなかったかもしれません。
蒸し暑い部屋や体育館でひたすら歌って、何が正解なのか分からなくなる、そんな毎日でした。
その年の結果は、銀賞でした。
私もそうでしたが、残念がってる子もいました。
一方で、これまでは賞をとるのも非現実的だった先輩たちは、「今年の頑張りで銀賞をとれたから来年こそ金賞をとれるのでは」という空気になっていたように思います。
一生けん命の熱は周りにも波及する
私たちが銀賞をとったのと同じ頃から、児童の親が以前よりさらに協力的になったような気がしました。
私たちが練習を積んで、結果として賞をとったことで、「来年は」と親もこれまでより期待を寄せるようになったのかもしれません。
子どもががむしゃらに頑張っていたところに、親がいろいろな面でサポートをしてくれるようになりました。
協力的な親の行動は心強いことこの上なかったです。
夢に向かう「温度差」
しかし夢を持つというのは、やはり色々あるのですよね。
おそらく一番本気で金賞をとりたいと思っているのは先輩たちで、それを見ていた後輩の一部はそんな先輩たちを怖がるようになってしまいました。
夢を持つこと自体は本当に素晴らしいことなのですが、複数人で同じ夢へ向かう場合、そこに生じる温度差が時として溝を生んでしまうこともあります。
ただ当時はまだ小学生。
学年の上下関係はそれほど強くなく、学年間の「壁」のようなものも、あるようでなかったのかもしれません。
この関係性が「下学年の子が怖がっている」という状況などをリセットしやすくしたのかもしれません。
先輩たちが本気なのは、下学年の子もわかっていましたが、先輩の本気度を「圧」として怖がってしまっている子がいたのも事実なので、チームとして「圧は絶対にやめよう」としっかり方向修整もできました。
せっかく良い夢に向かっているのに、あのときチームとして何もしていなかったら、ひたすら悪い方向に行っていたかもしれません。
練習やチームとしての方向性を修正しながら挑んだ次の大会
私たちが「金賞をとる」という夢を叶えたのは1年後。
念願の金賞を本当にとることができました。
私たちの学年はただ喜んでいたというかんじでしたが、先輩たちは泣いていました。
夢を叶えたのはみんなが頑張ったからなのですが、その中でも先輩たちが「夢に向かう本気」の背中を見せてくれたのは本当に大きかったと思います。
夢に向かうチームにいたこと、そして頑張る先輩の姿を見て、私の夢の中には、先輩の夢を叶えてほしいというのも芽生えていたように思います。
チームとして夢や目標を叶えるというのは、1人で夢を叶えるのとはまた異なるハードルがある気がしますが、その分、1人で叶える夢では知り得ない気持ちや学び、成長があると感じました。