寄付は自己満足?偽善? ~紛争地域の子どもに寄付をしてみて~}

寄付は自己満足?偽善? ~紛争地域の子どもに寄付をしてみて~

2023.02.02 プレビューアイコン91

寄付は自己満足なのか、寄付は偽善なのか。


時々聞く言葉です。


今回ご紹介するのは、その問題についてのご自身なりの答えを出している方の体験談です。


自己満足かもしれない、偽善かもしれないという理由で迷っている方は、参考にしてみてください。



戦争をきっかけに


私は、寄付を行っている団体のマンスリーサポートプログラムを利用し、紛争地域にいる子どもたちに対する寄付をしました。


毎月数百円を寄付すると、そのお金が海外の紛争地域で困っている子どもたちの役に立つというものです。


私がこのような寄付をしようと思ったきっかけは、ウクライナとロシアの戦争です。


学生時代、私は語学学校に通っていたことがありました。

そこにはウクライナの子もロシアの子もいて、当時は同じ教室で勉強したものです。


そのため、戦争の報道を見た時には本当に驚き、不安な気持ちになりました。



寄付をしてみて感じたこととは?


寄付


寄付をすることで、微力ではあっても、自分でも役に立つことができるのではないかと思えるようになりました。


また、テレビを通じて紛争地域で暮らす人々を見て、もっと知らなければと思うようにもなりました。


こういった番組にも興味を持つようになったのは、寄付をしたからかもしれません。


日本は今コロナ禍であり、かつ物価高、円安と重い空気が流れ、世知辛いなと感じます。

けれど、雨風をしのぐ家があり、必要であればきちんとした医療だって受けられるのであれば、紛争地域に暮らす人々からしたらなんと贅沢なことでしょう。


私は正直なところ、かなりの時短勤務ですので、そこまでお金がありません。

自分の老後のお金の心配もしています。


けれど、紛争地域の過酷さを考えたら、私の少しの切り崩しで助かる人がいるなら安いもんだと思いました。


寄付できたことに対しては、自己満足であるとも思います。

けれど、自己満足であっても偽善であっても、困っている人がそれによって助かる可能性が上がるという事実は変わりません。


偽善と思われるのがイヤだと思って行動が出来ないでいる人は、自分がどう見られるのかなどという保身を考えるよりも、それによって誰かが助かるかもしれないという事実だけを見て検討するといいと思います。



寄付は偽善か?


いかがでしたか?


「寄付は偽善」という言葉を時々耳にします。


しかし、この方が仰るように、偽善であってもなくても、それで助かる可能性が上がることは変わらないので、受け取る側からするとどちらにしても感謝しかないのではないでしょうか。

何事にも言えることですが、やはり相手側の立場で考えてみることが、答えへの一番の近道ではないでしょうか。


あなたはどう思いますか?



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