自分はキリスト教のプロテスタント教派を信仰しており、毎週ではありませんが、週末には教会の礼拝へ参加することがあります。
同教にて経典として使用している聖書の言葉には素晴らしいものがいくつもあり、そのような言葉の中でも新約聖書部分にある「ピリピへの手紙」の項、4章の10節に書かれている「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」
という言葉がすごく印象に残りました。
そのため、この言葉をいわゆる座右の銘として、今でも常に心に強く留めています。
「強くしてくれる」方とは
この言葉はイエス・キリストの使徒だったパウロが発したものです。
このパウロは有名な12使徒の中には数えられていませんが、それに準じる人物として聖書にその言葉が残っていることからも、有名な使徒の1人です。
彼が布教のために訪れたピリピの地を去った後にも、滞在していたピリピ人が色々と彼のサポートをしてくれたことから残したとされる言葉で、この“強くしてくれる”という表現は、すなわち周囲の人々の応援やサポートのことになります。
人間はそのようなものがあってより強くなれるといったことがこの言葉で表現されています。
人に頼ってみること
私は元来、公私共にあまり人には頼らない性格です。
よって、この言葉を見つけた時にもすぐにはピンときませんでした。
しかしキリスト教の経典である聖書に書かれている言葉だということもあり、そのようなものかとそれ以来、少しだけ人の応援やサポートについても気にするようになりました。
それから少し経った後のこと、仕事で1人では少し難しいと思われる案件を扱う機会がありました。
傍から見ても1人では難しいだろうと思われたのか、上司から、誰かをサポートにつけてもいいと言われました。
そのように言われても、教える手間や時間が面倒だと考えてしまい、最初は1人で進めてしまった方がいいと思いました。
元々1人で何でもやってしまうタイプの人間のため、そのような心配は不要だと断ってしまおうと考えたのです。
しかしここであのパウロの言葉を思い出し、あまり気乗りはしませんでしたが、ものはためしにと1人サポートにつけてもらうことにしました。
やってみると、懸念していた通り、余計に面倒になってしまった部分もありました。
しかし、マイナス面ばかりではありませんでした。
ときに斬新な発想を共有してくれることもありましたし、1人ではいき詰まってしまうような場面でも、1人ではないことが励みになるなど、サポートをつけてもらえて本当によかったと思えました。
これこそがあのパウロの言葉が表している意味なのだろうと分かった実例です。
それからはすぐに何でも1人で全てやってしまおうと考えることはなくなり、助けを借りられる場面では積極的にお願いするようにしています。
人生観に大きく影響
原文の「どんなことでもできる」はすこし大袈裟には感じますが、人間は1人では大したことはできないといったことがこの一件からもよく分かりました。
この経験はそれからの私の人生感にも大きく影響し、仕事も以前より手際よく、円滑に行えるようになったと思っています。
キリスト教に何も興味がない人は、聖書などまず読まないとは思いますが、このような名言があることだけでも是非覚えておいて欲しいと思っています。