私が音楽エンジニアの仕事を始めて十数年が経ちます。
この仕事はどちらかと言うと「裏方」にあたると思います。
スポットライトを浴びる事もなく、褒められることも滅多にありません。(自分の実力不足かもしれませんが…)
しかし、私はこの仕事が好きで誇りにすら思っています。今のところ「天職」だと信じています。
しかし以前の私は「スポットライトを浴びる側」、アーティストになりたかったのです。
それも自分たちのロックで武道館を満員にするロック・アーティストに。
挫折した武道館への道
東京から遠く離れた地方で育った私ですが、中学生くらいになると他の友人と同じくロックに目覚めました。
昨日まで聴いていたアイドル歌手のカセットは、ハードロックやブルースロックのLPレコードに置き換えられました。
毎日毎日ギターの練習に明け暮れ、まだバンドも組まないうちから「武道館」が口癖でした。
高校の進路相談では大学ではなく「東京」と答え、親や先生から呆れられる始末。
憧れの東京でバンドを組み、毎週のようにどこかでライブをしていた20代は、夢と現実との戦いでした。
目標としていた武道館への道は、現実を知れば知るほど遠のいていき、いつしか口癖は「武道館」から「無理でしょ」に変わっていました。
20代も終わりに近づき、30代への切符を手にするために足掻く日々は修行のように思えました。
自分を許した「30歳の誕生日」
以前から漠然と「30歳になってダメなら辞める」と決めていたバンド活動もパッとしないまま、私はその30歳の誕生日を迎えました。
「ダメだったな、武道館…これが挫折か」と思いながら一人で晩酌したのを覚えています。
その次の日、朝の目覚めから雰囲気が違うのを感じました。
今度のライブではこんな事をしてみよう、次の曲はこういう感じがいいな、と次々とアイデアが閃き始めました。
そのアイデアを実行するためには何が必要なのか?そんな風に物事を考えるようになりました。
そうなるとバンド活動は見違えるように上手く回り始め、これまでは考えられなかった規模のライブも企画、出演出来るようになるのです。
不思議なことに、周りの状況が、30歳になった次の日から激変したのです。
バンドはその後も何年か続きましたが、武道館には及ばず解散しました。
しかし、やりきった!と言えるバンド活動でしたので後悔はありませんでした。
その時に関わりのあった方の紹介で、今の音楽エンジニアの仕事に就くことが出来ました。
今思えば、というかその当時から感じていましたが、30歳の誕生日を迎えたあの日、私は自分で自分を許したんだと思います。
不甲斐ない自分ではあるけれど、それも全部自分。
良い所も悪い所も、全部ひっくるめて自分じゃないか、と。
許すことで軽くなった心には余裕が生まれ、その時の自分が求めていた状況を手にしたのだと思います。
ギラギラしていた眼と引き換えに。
武道館は今の自分の新たな「目標」
ずっと目標にしてきた武道館は、形を変え今も「目標」です。
武道館で公演を行うアーティストは年間に何人もいます。
そして、それを支える「裏方」はもっと多く存在します。
私の目標は方向転換したけれど、変わらずそこに「新たな目標」として存在しています。
今度は必ず「武道館」です。
今の私の目はもしかしたらあの頃より「ギラギラ」しているかもしれません。