私は小さい頃から歌うのが好きで、踊ることも好き。
加えて目立つのも好きなお転婆娘でした。
幼稚園の頃からダンスを習っていたため、自然と将来の夢もダンス関係の仕事に就きたいと思うようになりました。
当時小学生だった私は、本当は歌って踊れるアイドルに密かに憧れていました。
しかし当時は今のようにSNSが栄えていたわけでもなく、アイドルになるなんてのは夢物語であり、親に話せずじまいでした。
バックダンサーを目指す!
そんな中バックダンサーの仕事を知り、一人地元を離れ、大阪の専門学校へ進学しました。
ダンスの専門学校なだけあって、一人ひとりレベルが高く、切磋琢磨しながら技術を磨いていきました。
そしてその努力も報われ、数々のバックダンサーオーディションで受かるようになり、様々なアーティストのツアーやメディアで踊る機会が増えました。
ステージの中で降りてきた自分への疑問
そんなある日、アリーナツアーのバックダンサーの仕事をさせてもらった時のことです。
大量の降り注ぐようなペンライトを見た時、私の中で「本当にやりたいことってバックで踊るだけなのか?」「自分のパフォーマンスで自分にこのペンライトを向けてもらい笑顔になってもらいたい」そんな欲が自分の中をかき乱しました。
ここが私の方向転換のキッカケとなりました。
成功するかもわからないけれど、親にやりたい事を伝えた上で、次は一人、東京へ上京しました。
新たな夢は
この時の私の目標は、ファンを作りダンス&ボーカルチームに所属し、日本以外でもライブがしたい!ということでした。
今思うとあまりにも無計画で無謀な目標でした。
本当に若いからこそ飛び込めたのだなとしみじみ感じます。
右も左もわからないながらに、色んな事務所オーディションを受けたり、人脈を広げるための行動をとりました。
ダンス&ボーカルとは程遠いグループで歌ったり、バンドでボーカルをしたり、時には高額詐欺にあったり・・・本当に紆余曲折しました。
もちろん収入など微々たるもので、練習やライブの合間を縫ってアルバイトをしながらの、プライベートなど全くない状態でした。
何度も「なんでこんな辛い思いをしてまでこんな夢を追いかけてるんだろう」と思いました。
それでも続けてこれた理由、それは方向転換したあの日を思い出すことでした。
あの日に原点回帰をしつつ、応援してくれる家族やファンの存在を思うことで続けられました。
キレイごとに聞こえるかもしれませんが、本当にこれらのことが私にとって大切な要素となっていました。
結果的に自分がやりたいと思っていたダンス&ボーカルグループで全国CDデビューを果たし、日本国外でもライブをすることができました。
夢を叶えることができたのです。
本当にやりたいことをやろう
方向転換を決意したあの日、自分の本音に向き合わず、飛び込まなければ、通常の生活では体験できなかった数々のかけがえのない経験はできなかったでしょう。
将来子供が生まれたら、自信満々に私のやってきた事を教えてあげたいと思います。
そうやって話せる経験を手に入れられた事もまた財産になりました。
私がこの話を通して皆さんに伝えたいこと。
それは、少しでも自分の気持ちに疑問を持ったら迷わず向き合い、やりたい事に勇気を出して飛び込んでほしいということです。
何もわからない状態でも、インターネットなどで調べれば何とかなる時代です。
あとは、なぜそれを目指したいと思ったのか、原点回帰を忘れないこと。
そして、それらを決めたのは自分であり自分の責任なのです。
それを理解していれば、どれだけ道を外しかけても軌道修正することができます。
自分の可能性を生かすも殺すも自分次第です。
一度きりの人生、やりたいことをとことんやってやりましょう。