大きな夢を抱えていても、思い通りのレールを歩けないこともあります。
今回はひとつの挫折を乗り越えながら、軌道修正できた私の体験談をお伝えします。
「夢の途中変更は、悪いことなの?」と感じている方のヒントになれば嬉しいです。
小さな頃の夢は、ピアニスト
3人兄弟の一番上として、生まれた私。
物心ついた頃から、妹や弟の面倒をみるのが常になっていました。
なかでも得意だったのは、ピアノを弾くこと。
当時流行っていたアニメのメドレーをひいたり、リクエストされた童話を奏でたり、とにかく「音楽と触れ合うこと」が大好きでした。
そんな中で、しだいに「有名なピアニストになりたい」という夢が加速していきました。
サントリーホールのような大舞台で、多くの観衆を目の前にして、自慢の腕を披露するのが憧れだったのです。
「いいね、なれるんじゃない?」という親友の言葉を支えに、猛特訓。
高校生のときには音大入学を目指して、手にタコができるまで練習に励みました。
頑張っていれば、いつかは報われる。そう信じていたのです。
第一志望には受からなかったものの…
待ちに待った入試の日。
有名な国公立の音大と、私立の音大を受けました。
「絶対に受かる」と強気でいたものの、蓋を開けてみたら見事にどちらも不合格。
途方に暮れました。
気もそぞろになりながら、母親に「どうしよう」と相談しました。
頭がまっしろになり、何をどうすればいいか分からなかったのです。
ところが母は「あなたはどうしたいの?」と聞いてきました。
もう一度音大めざして浪人するか、はたまた別の学部を目指すか…。
「あなたの気持ちが強い方に決めなさい」と言いました。
それから数日は色々な本を読んだり、美術館に出かけたり、近所の公園を散歩したり、気ままに過ごしました。
自分の気持ちと会話するために、一人っきりになれる時間が欲しかったのです。
「夢を見続けるか、はたまた諦めるか」私の心は揺れていました。
見つけた、本当の幸せ
その後、両親や学校の先生と相談をしながら「音大に進む道」は諦めました。
「ピアノは好き。けれども職業にするのは、ちょっと違う」そう思ったのです。
企業にお勤めしながら、趣味でピアノを弾く。
おっとり型で緊張しやすい私にとっては、親友や大切な家族のためにプライベートで「ピアノを弾く」方が幸せではないかと思いました。
その後がんばって一年浪人をし、晴れて難関私大に入学しました。
英文学科を卒業して、とある企業に就職することができました。
「夢は叶えるもの」といわれます。
けれども途中で寄り道してみるのも、寄り道して他の道に進路変更してみるのも、ひとつの幸せな考えだと思います。
こだわらず、固執せず、ゆるやかに自分の道を見つけてみてください。