
私には大きな夢がありました。
それは、シンガーソングライターになること。
これは私がシンガーソングライターを目指し、挫折をして、別の方法で音楽を届けるようになるまでのエピソードです。
音楽を楽しんでいた高校時代
高校生の頃の私は軽音楽部に所属していて、部活内ではアコースティックギター(通称:アコギ)を担当楽器としていました。
アコギをかき鳴らし歌を歌う、この「弾き語り」といわれる構成が、高校生の私にとっては憧れであり、学校内のライブにも出ていました。
引退ライブでも、部員の皆から「○○さん本当にうまいね」などと言葉をかけてもらえ、私は次第にシンガーソングライターになるという夢を持つようになりました。
高校3年生の進路活動が本格的に始まる頃には「私はシンガーソングライターになってお金を稼ぐ」と公言していたほど、やりたいこと・進むべき道が自分の中で決まっていました。
そして、作曲も出来るようにならなければ!と、都内の私立音楽大学に進学することにしました。
現実を知らされたオーディション
私が進学した大学には、ボーカルオーディションの2次に通らなければ進学できない、という規則があったので、某音楽業界のオーディションを受けることにしました。
当時の私は、「どうせ受かる」と高を括っており、完全に油断していました。
案の定、一次試験で落選し、そこで初めて夢に対する挫折を経験しました。
どうしようかと考え、もう一度努力をして受けてみようと決意を固め、留年をし、一年後に同じオーディションを受けました。
今度は、2次試験までぎりぎりで合格を果たすことが出来ました。
しかし、「ぎりぎり」合格という時点で、私にはシンガーソングライターの素質も才能もないのだな、と見切りをつけ、次年度から将来を見据えて別の学科に移動しようと夢の方向転換を図りました。
裏方として音楽を届ける方向へ
大学2年生からは音響の学科に進み、音楽イベントや、ライブ、スタジオなどの音響、照明、映像などの裏手に進む夢へと方向転換しました。
大学卒業後は音響の仕事に就き、就職後も音楽についていろいろと勉強させていただきました。
その約3年後、プロデューサーにならないかと推薦までもらい、最後にはプロデューサーという役職にまでつくことができました。
自分が演者となって音楽を届けるという夢はかないませんでした。
しかし早い段階で見切りをつけたことで、中途半端にならず、裏からお客様に音楽を届けるという仕事をまっとうでき、今では充実した音楽人生だったなと感じています。
夢を諦めることは次の夢を見つけるきっかけになることだと今では感じています。