私は小さい頃から音楽が好きで、よく家で歌ったりピアノを弾いたりしていました。
そんな私が、音楽を通して叶えたかった夢を、当初とは別の道で叶えることができたエピソードです。
高校生の頃の夢は歌手
高校に入ってからは、合唱部に入り、ピアニスト兼歌い手として活動していました。
当時、気の合う部員たちとグループを組んで、ボランティアや、地元のお祭りのステージなどの対外的な活動も始めました。
自分の歌で、観客に喜んで貰える経験は格別でした。
本格的にプロのミュージシャンになり人々を喜ばせたい!
そんな夢を抱き、進路選択は音楽大学か音楽の専門学校に絞りました。
しかし、高校3年生の夏休みの頃から、次第に行き詰まりを感じ始めました。
友人達の音楽知識の深さや技術の確かさに比べてしまうと、自分の「ただ好きだからやっていた」という音楽は根本的に違うような気がしてきました。
私の考えを変えた友人の言葉
ある時、会話の流れで、当時一番上手かった友人が言った言葉があります。
「あなたは私を上手いって言ってくれるけど、先生にはいつもアレが悪い、これが悪いって言われるんだよ」
完璧なパフォーマンスをしていると思っていた友人の言葉に私が驚いていると、
「『上手い』って言葉は(日々、言われている内容に対して)氷山の一角。その100倍『下手』って言われてるんだよ」
喜んで貰いたいという考えは、結局「上手い」と思って貰いたいということ。
この先音楽の道を進んで、山のように積み上がる「下手」という言葉に、私は耐えられそうにもない。それを支えるだけの芯が私の音楽にはない。
結局、悩んだ末に、普通科の大学に切り替えました。
自分が音楽を裏切ってしまった気がして、友人達との活動も受験を理由に遠ざかっていきました。
音楽とは別の道へ
大学4年間は音楽と縁のない生活を続け、就職先は地元の介護事業者でした。
音楽から逃げた自分は、受験も就職活動も頑張りきれず、とにかく入れるところで妥協した、そんな風に考えていました。
仕事が始まると、色々と物事を考えている時間はありませんでした。
仕事のやり方を覚えるので精一杯で、慣れたと思った頃に転勤があり、忙しさは続きました。
忙しいながらも、高齢者の人達を支える仕事は「社会に必要な仕事をしているんだ」という気持ちが湧き、何となくやり甲斐を感じられていました。
介護の道の中で見つけた、かつての夢
4回目の転勤で、デイサービスに移りました。
デイサービスは単なる介護というより、体操やレクリエーションの司会進行、行事の企画運営など、場を盛り上げるスキルが求められます。
ここへきて高校時代に培った音楽を活かす場があったのです。
喋りに自信がなかった私は、何かと歌で場を繋いだのですが、皆、笑顔で一緒に歌ってくれました。
今はもう少し上の役職が付き、デスクワークが増え、レクリエーションの司会をする事はなくなりました。
しかし、今でも行事の際には「一曲披露して」と声がかかる事が多く、調子にのって歌わせて貰っています。
歌いながら改めて皆の顔を見ていると、ミュージシャンを目指していたときに見たいと思っていた観客の笑顔というものは、案外こんなところにあったのでは、と思います。
かつての夢に馳せる想いと現在の充実感
最近、当時一番上手かったかつての友人と会う機会がありました。
夢を真っ直ぐ進んだ彼女は、演奏家になっていました。
彼女の音楽を「下手」と言う人は、もういないのではないか、そんな話をしてみたところ、「自分自身が駄目出しするんだよ」と笑っていました。
「やはり彼女は凄いな」と思うのと同時に、「それがアリならあの時ビビらずに一歩踏み出しても良かったのでは?」、なんて思いもしました。
もしかしたら私は選択を間違えたのかもしれません。
それでも、見たかった笑顔をこんなにも近くで見られる場所にいるのだから、あの時の軌道修正は決して間違ってはいなかった、今ではそう思えるようになりました。